卑屈になりきれない日々

自称コミュ障の卑屈になろうとして、なりきれていない、そんな日々を徒然に記します。少しでもあなたの心が軽くなったり、アイデアの足しになったり、楽しみになれたり、とにかく読んでいただければ幸いです。

今日を生きる

今日を生き抜く

 

今日は部屋の片付けを済ませ、面談を済ませ、友人に手料理を振る舞い、エントリーシートを書き、ブログに向き合った

 

明日もちゃんとやり抜こう

 

どうして生きているのか

なぜ就活をするのか

自分の満足のためか

何が満足なのか

 

どうしようもない夜の土砂降りの雨に、吐き気を覚えて煙を呑む

 

今はただ明日を生き抜かなければ

1日を、明日を、今日を生き抜く。

如何しようも無い

これはずっとなのであるが、どうやら自分は “終わり” というものにひどく美しさを見出してしまっている。

 

それは、愛する人との別れ

それは、両親への最後の手紙

それは、なんとなく匂う別れの瞬間

そんなものに魅力を感じずにいられないのである。

 

魅力と思う生き方に近づきたいが近づけない。そんな惰性でここまできてしまったのだろう。

 

明日はいい日になるか。

まだ希望を見出すには遅くないか。

今日も醜く生きている

思考を止めない

Twitter で、とても悲しいトレンドを見た。野次馬っぽくなるため、余り詳しく物事を取り上げて、ここぞとばかりに自分の考えをひけらかすのはしたくない。が、感じたことを記したいので、簡潔にトピックだけ述べる、自殺に関するものだ。

公の場で起きた自殺に関して、それが迷惑か、またその場面を写真に収めてSNSに投稿する人々の是非を問う、そのようなものだった。


悲しくなったのは、このトピックに触れる際に、自身の考え、感じ方を話すのは構わないが、他者の考えを否定しにかかる姿勢というか、そういうものに関してだ。


センシティブな内容だからこそ、概念というか、人の考え・思考というものが浮き彫りになるし、そこを否定できることによって自身の地位の一時的優越感に浸っているような (実際は、否定もできておらず、ツイート主の論旨も汲み取らないようなものが多いが) 、なんというか、やるせなくなった。

そもそも、人が亡くなったことに関して、関係が無いにしろ、粛々とまではいかないにしろ、少し気を払いたくならないものだろうか。なんというか共感性が足りていないというか、想像力の欠如、というものをリプライ欄で垣間見てしまったことである。


悲しくなったこともそうだし、こうやって、どうしようもないやるせなさというか、悲しさというか、そういうものを目の当たりにしたときに、どうしても

"嫌だ、どうしようもない、考えると悲しくなる" と感じてしまう。

思考を止めたいし、みないようにして楽しく生きることはできるかもしれない。続けたって何かが変わる訳でもないし。

でもどこかで、また出会うかもしれないし、出会った時に自分はどう受け止めれるか、又は行動にも移せるかもしれない。そんないつかに備えて、思考は止めずにいたいと思う。

止めてしまいたくないし、止めてしまうほど悲しいことがあるのか、とも思う。

自分は今生きているのだろうか。何も生産しない、ただ冗長な日々を消費して、どうしようもない気持ちに襲われている。

自分自身の価値を再認できない。

自分と関わってくれている人に申し訳なさすら覚える。

 

いつの間にか積み上げられた酒の空き缶と、確かに数ヶ月前には必死に日々を取り組んでいた証の、エナジードリンクの空き缶とが、机の上でごった返している。

ただ、それをぼーっと眺めている自分がいる。

 

一つだけ違うのは、こうして今日も、日記のようなものを繋いでいる。

ひと月前に封を開けた、頑張っていた頃に口に運んでいた、コーヒー風味のチョコレートを食べながら、それでも確かに私は生きている。

希望を求めて

少し前のことになる。が、ブログを始めるきっかけとなった出来事を書きたい。

本来、自分の信条としては、何か見聞きして、心が動いた瞬間、そこから時が短ければ短いほど、アウトプットする内容は艶美なものであるのだが、少し期間を開けてしまったことを自戒したい。

 

さて、本題に入る。クリスマスの直近、確か12月の23日のことである。偶然、とある本屋に立ち寄り、目当ての音楽関係の本を購入した帰り、レジを通り過ぎエスカレータに乗る道の際に今が旬と謳われるブックコーナーを目にした。

筆者は伏せておくが、とある一冊の本。

『皆が前向きに進んできたのではなく、ただ立ち止まることをせず、なんとか歩を進めてきただけ』ー人間の負から湧き上がる、確かな力を信じたいー

そのようなことが書かれていたように思う。

ハッとした。何かにすがるようにその本を手にとった。本来、いや、10年ほど本なんて手に取ることなどないし、文章を読むにしても受験での現代文ぐらいの自分であったが、すぐさまその本を購入した。

 

その帰り、電車の中で、はやる高鳴りを抑え切れず、買ったばかりの本を開いた。が、すぐさま落胆することとなった。

何かにすがろうとしていた自分は、『皆が前向きに〜』のような、手っ取り早く、今の自分の生活・自分自身を肯定してくれるような格言・名言じみたものを求めて本を手に取っていた。しかし、目の前に広がったのは、人物の名前と情景描写、小説が始まってしまったのである。

人生、そんなうまくいかない、いかないな。

しかし、郷によっては郷に従えというか。なんというか、確かに、本ってこういうことだよな。とも思った。今まで本を手に取ることのなかった人間にとっては、大きな契機であり、これは今も読み進めている。

 

さて、その帰りの電車を降車後、セブンイレブンに寄り道した。クリスマス・イブ前日、カップルが街を彩る中、セブンイレブンの惣菜コーナーを彩っていたのは独身男性の数々であった。

やっぱりな。そんな思考が自分の中をよぎったが、今日は一味違った。

そもそも、なぜ独身ときめつけているのか。もしかすると、単身赴任中の男性かもしれないし、家族で今日はご飯を作る手間を省くためのコンビニ、あるいはご夫妻が病気で療養中、ご飯はあるがおつまみを買うだけ、色々な可能性があるはずだ。想像力の欠如。社会に嫌気がさしている卑屈さを気取っていた自分自身の、知らず知らずのうちにかけていた偏見のメガネに嫌気がさし、ものすごく羞恥の念を抱いた。そんな夜であった。

 

ここまでだらだらと書いてきたが、要はアップデートが必要に思う。自身のアップデートを絶えず行うべきであるし、アップデートの最中には他者の考えや視点・アイデアのようなものを取り込むことを忘れたくないように思う。

 

酔いが回ってきたのでこの辺で。

読んでくれてありがとう。

はじめに

 

このブログ初の記事である。

 

とても楽しみに、どんなことを書こうか、頭の中で色々考えてみたが、さぁいざ、まっさらなキャンバスを渡されると何を書いていいか困惑してしまった。

悲しいかな、自分が凡人であることを痛感させられます。

 

現在時刻は、AM4:00 をとうに過ぎており、大事に取っておいた、賞味期限の切れたカニの缶詰を開けて、ハイボールを飲みながら、この記事を書いています。この、今生大事に取っておいた缶詰というのは、大学1年生で一人暮らしを始めた時の、6月ごろに親からきた初めての仕送りに入っていたもので、そこから約3年半、もったいぶって食べれずに取っておいたものである。

 

さて、主題に沿った話をしたいのだが、このブログは、題名の下に小さな文字で書いてある通り、しょうもない人間の、他愛もない日々を連ねんとするものである。

どうかどうか、暇つぶしに、あるいはあなたの休息やその他諸々、とにかく目の前のあなたに、何か共感めいたものまでいかなくとも、少しでも心地よい風になれれば幸いである。