卑屈になりきれない日々

自称コミュ障の卑屈になろうとして、なりきれていない、そんな日々を徒然に記します。少しでもあなたの心が軽くなったり、アイデアの足しになったり、楽しみになれたり、とにかく読んでいただければ幸いです。

希望を求めて

少し前のことになる。が、ブログを始めるきっかけとなった出来事を書きたい。

本来、自分の信条としては、何か見聞きして、心が動いた瞬間、そこから時が短ければ短いほど、アウトプットする内容は艶美なものであるのだが、少し期間を開けてしまったことを自戒したい。

 

さて、本題に入る。クリスマスの直近、確か12月の23日のことである。偶然、とある本屋に立ち寄り、目当ての音楽関係の本を購入した帰り、レジを通り過ぎエスカレータに乗る道の際に今が旬と謳われるブックコーナーを目にした。

筆者は伏せておくが、とある一冊の本。

『皆が前向きに進んできたのではなく、ただ立ち止まることをせず、なんとか歩を進めてきただけ』ー人間の負から湧き上がる、確かな力を信じたいー

そのようなことが書かれていたように思う。

ハッとした。何かにすがるようにその本を手にとった。本来、いや、10年ほど本なんて手に取ることなどないし、文章を読むにしても受験での現代文ぐらいの自分であったが、すぐさまその本を購入した。

 

その帰り、電車の中で、はやる高鳴りを抑え切れず、買ったばかりの本を開いた。が、すぐさま落胆することとなった。

何かにすがろうとしていた自分は、『皆が前向きに〜』のような、手っ取り早く、今の自分の生活・自分自身を肯定してくれるような格言・名言じみたものを求めて本を手に取っていた。しかし、目の前に広がったのは、人物の名前と情景描写、小説が始まってしまったのである。

人生、そんなうまくいかない、いかないな。

しかし、郷によっては郷に従えというか。なんというか、確かに、本ってこういうことだよな。とも思った。今まで本を手に取ることのなかった人間にとっては、大きな契機であり、これは今も読み進めている。

 

さて、その帰りの電車を降車後、セブンイレブンに寄り道した。クリスマス・イブ前日、カップルが街を彩る中、セブンイレブンの惣菜コーナーを彩っていたのは独身男性の数々であった。

やっぱりな。そんな思考が自分の中をよぎったが、今日は一味違った。

そもそも、なぜ独身ときめつけているのか。もしかすると、単身赴任中の男性かもしれないし、家族で今日はご飯を作る手間を省くためのコンビニ、あるいはご夫妻が病気で療養中、ご飯はあるがおつまみを買うだけ、色々な可能性があるはずだ。想像力の欠如。社会に嫌気がさしている卑屈さを気取っていた自分自身の、知らず知らずのうちにかけていた偏見のメガネに嫌気がさし、ものすごく羞恥の念を抱いた。そんな夜であった。

 

ここまでだらだらと書いてきたが、要はアップデートが必要に思う。自身のアップデートを絶えず行うべきであるし、アップデートの最中には他者の考えや視点・アイデアのようなものを取り込むことを忘れたくないように思う。

 

酔いが回ってきたのでこの辺で。

読んでくれてありがとう。